朝、「いってらっしゃい」と声をかけて送り出す我が子の背中から、明らかに元気が感じられない日がある。
本人は口に出して「学校に行きたくない」とは言わない。親に心配をかけまいと歩き出している。けれど、その小さな後ろ姿が語る「重たさ」に、胸が締め付けられるような思いをしたことがあるお母さんは少なくないはずだ。
我が家の次女は今、小学4年生。
彼女は内向的な自分と、外向的な自分の狭間でいつも揺れている。低学年の頃に経験したお友達とのトラブルが、今も小さな影を落としているのだろう。自分から進んでお友達を誘うことに、強い苦手意識を持っている。
そのもどかしさは、毎日の下校時にも現れている。
同じタイミングで帰るお友達が目の前にいても、「一緒に帰ろう」と声をかけることができない。
「もし断られたら…」「嫌な顔をされたら傷つく」という自己防衛本能が働いてしまうらしい。 結局、お友達の輪に自分から入れないまま、ただ後ろから静かにくっついて帰る形になってしまう。本人も「自分は受け入れられているのだろうか」と、釈然としない気持ちのまま帰宅し、そして落ち込んでいる。
その話を聞いたとき、私や長女は「ひとりで帰ってきたって全然いいじゃん!」と、つい合理的なアドバイスをしてしまった。
しかし、次女の心には響かない。
実は、私自身は小学生の頃、ひとりで登下校をする子どもだった。 近所に同じ方角の友達がいなかったこともあるが、何より自分のペースで気楽に歩くのが好きだった。そのため、「ひとりで歩く=ネガティブなこと」という認識が、私の記憶の中には存在しないのだ。
しかし、ここで忘れてはならないのは、やはり「娘と私は完全に別人格である」ということ。
私にとっては快適な「ひとり」の時間も、娘にとっては「お友達の輪に入れなかった寂しい結果」という意味になってしまう。私の過去の経験や価値観をそのまま娘に当てはめて、「ひとりでも大丈夫だよ」と励ますことは、時として娘の傷つきを「大したことない」と片付けてしまうことになりかねないとも思う。
娘が今、一生懸命に令和の人間関係の中で悩んでいる「もどかしさ」。そこに、私の昭和の物差しを押し付けず、かといって放り出さず、どうすれば一番心地いい距離感で寄り添えるのか。
正解のない子育ての難しさ。娘の後ろ姿から日々感じている。


コメント